10．
　　
　翌朝、空港に向かう道すがら、父は寄り道をして僕を臨海公園へと連れて行った。
　まだ陽が出ておらず、辺りは薄暗い。空は紫色で、水平線に向かってピンクのグラデーションを帯びていた。
　南東の方角から吹き付ける潮風が、斜面いっぱいに植えられている花を揺らす。
　父は、埠頭の先にある石碑の前に立ち、昨日買った花束を添えた。
「これ、なに？」
「……これは、お墓だ。戦争で亡くなった人達の」
「しらないひとのおはかじゃん」
「父さん達にとっては、恩人のような人達も眠っているんだよ」
　それから父は、たっぷり一分は黙祷を捧げた。
　後で知ったことだが、この場所は一度目の宇宙大戦の時、オーブが大西洋連邦からの侵略に激しく抵抗した跡だった。抵抗の末に、時の首長達は自爆した。モルゲンレーテを含む軍事施設を焼失させるため、爆発には巨大なエネルギーを伴ったが、それは地形をも変えてしまう程凄惨なものだったという。
　コーディネーターである父が彼らを恩人と呼ぶのも、当時の世界情勢を鑑みれば当然のことだ。
　彼らの決死の行動は、結果的にではあるが、世界世論を動かし、大西洋連邦の強硬な領土拡大戦略への風当たりを強めた。そして、地球各地で独立運動が活発化し、ユニウス条約に戦前の領土へと戻す項目が加えられた要因の一つと見るのが、今日における歴史の定説となっている。
　現在、反コーディネーター勢力が弱体化し、地球上にコーディネーターの住む場所が残っているのも、こうして犠牲になった人々のおかげなのだろう。

「さて、そろそろ空港に行くか」
「……うん」
「なんだ？　旅行が終わるから、寂しくなったのか？」
「ううん。はやくかえろう。うちでパンケーキがたべたい」
「また、パンケーキか……いいけど、買い物に行かないと材料が無いぞ」　
　旅行の終わりを惜しんでいたが、今はただ帰りたかった。あのどんよりと曇ったスカンジナビアの空が、父の作った粉っぽいパンケーキが、恋しかった。
　慣れ親しんだ日常に戻れば、モヤモヤとした不安も掻き消すことが出来るような気がしていた。
　ぐいっと父の手を引っ張り促すが、父は立ち止まって僕に話しかけてくる。
「ほら、すごいぞ」
　指差す方角が真っ赤に燃えていた。そして、水平線が光ったかと思うと、太陽が徐々に顔を出し始め、空も海も金色に染まった。波打つ度に水面がキラキラと輝き、花が色を競うように開いていく。
「海から見る朝日も綺麗だろう？」
「うん……」
「――これを、お前にも見せてやりたかった」
　悔しいが、ずっと眺めていたい程に美しい光景だった。単純な僕は、嫌な気持ちが少し薄れて、帰るのが惜しくなってしまった。
　勿論、帰るところがあるから、旅行にも行けるのだ。



　帰宅して早々、僕は熱を出した。
　かなり熱が高かったので、旅先で何らかの感染症を貰ってきたのではないかと、父が心配して病院に連れて行ってくれたが、旅の疲れと、オーブとスカンジナビアの気温差によって抵抗力を弱めたために風邪を引いたのだと診察された。
　熱で朦朧とする僕を看病する父は、いつもの父だった。
　あのお城のような白い屋敷で見た父は、僕の夢だったのではないだろうか。閉じそうな瞼を懸命に開いて考えてみる。
　だが、しっとりとした甘いパンケーキや、初めて大人の女性と入った熱いお風呂、――そして彼女のあまりにも優しい微笑みが、次々に浮かんできて、あれはやはり本当のことだったと思うのだった。
　
　不安になって、出社しようとする父に向かって手を伸ばす。父は僕の手を握ると、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「すまないが、沢山休みを取ってしまったから、今日はさすがに休めないんだ。昼は、お隣のヤコブさんに頼んであるから、ご迷惑をお掛けしないように。きちんと食べて、薬を飲むんだぞ」
　返事をしない僕に、父が機嫌を取るように言う。
「熱が下がったら、パンケーキを作ってやるから、な？」
「ほんと？」
「俺は約束を守るよ。だから、お前も早く元気になれ。約束出来るか？」
「うん」
　約束がある限りは大丈夫だ。父は必ず約束を守る男なのだから。
　父が出て行く後ろ姿を見送って、僕は漸く瞼を閉じた。





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