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※アスカガ・オリキャラ視点・戦後IF
『サマータイム』
09.
とある感覚が、僕を眠りから呼び起こした。
「……トイレ、いきたい……」
どうも水分を取りすぎたようだ。この屋敷に来てから、与えられるがままに水分を摂取したが、一度もトイレに行っていない。
ここで寝転んでいてもどうにもならないので、起き上がってトイレを探すことにする。
この部屋には二つの扉があった。
枕側の壁にあるものと、窓側から一番遠い壁にあるものと。枕側にあるものは、隣の部屋へ通じる扉か、収納スペースの扉だと当たりを付けて、もう一つの扉を開ける。
すると廊下へ出た。果てが見えない程に長い廊下だ。
片っ端から扉を開けて、トイレを探す。
だが、三つほど開けたところで、同じような扉がずらりと並んでいることに気が付いた。これでは、元の部屋がどれだか分からなくなるだろう。僕は、一度部屋に戻ってスニーカーに履き替えると、先程まで履いていたスリッパを目印として扉に立てかけておくことにした。知らない場所で迷子になるのは、もう二度と御免だ。
この階では見つからなかったので、階段を一段飛ばしで駆け下りた。最後の数段をジャンプして踊り場に降り立っても、ふかふかの絨毯が僕の足音を吸い取ってくれる。
踊り場から折り返して階段を降り終わると、微かに人の声が聞こえてきた。そういえば、部屋を出てから今まで誰にも会っていない。
ちょっと身構えてしまう。僕が目覚めたことは、あの金色の女性に報告されてしまうだろうから。
あんなことを言わなければ良かった。助けがくるまで、あるいは彼女の気が済むまで付き合ってやれば、彼女を傷つけなくて済んだのに。
いや、それよりも彼女を怒らせてはいないだろうか。怒らせて、逆上でもされたら……。
そろりと、廊下を窺うと、誰もいなかったので、早くトイレを探そうと行動する。
音を立てないよう扉の開け閉めを繰り返しながら廊下を進んでいくと、声が近くなってくる。
声の主は二人。片方は、金色の女性のものだ。不味いなと思っていると、もう一方が喋った。その柔らかな男性の声は――
おとうさんだ!
父が助けに来てくれたのだ。でも、父が彼女と何の話をしているのだろう。
俄かに浮かんだ疑問が、僕を動かす。少しだけ扉を開ける。幸い、全く音を立てずに開けることが出来た。
扉の隙間から覗くと、光を取り込む大きな窓の傍で、二人が向かい合っているのが見えた。逆行になっているために顔の半分に影が差しているが、二人とも痛みを堪えるような険しい顔をしているのが分かった。
「あの子、良い子だな……本当に良い子」
「ああ……」
「……すごく可愛い……。……あんな、に……大きくなっ」
女性が声を詰まらせる。
その時、父は思いも寄らない行動を取った。
――彼女の細い身体を掻き抱いたのだ。
固く結びついた二人は、その衝動のままに傍にあったテーブルに身を預けた。
男の手が女の金色の髪を掻き上げ、男は女の唇を荒々しく塞いだ。それに応えるように、女のしなやかな手が、艶めかしく男の背を辿る。
まるで映画のような、それも家族で見ていると妙に気まずくなる類の映画のような、そんな情熱的なラブシーンを演じる一組の男女。
スクリーンの外側で、僕は呆然と彼らを見ていた。
二人の頭部が、ほんの束の間離れる。二つの吐息が重なり合って聞こえてきた時、僕は見ていられなくて、その場を後にした。
部屋に戻った僕は、ベッドに飛び込むと、頭からブランケットを被った。
あれは、本当に僕のおとうさんだったのだろうか。まるで違う人のようだった。
助けに来て欲しかったのに、ずっと待ってたのに、どうして金色の女性とキスなんかしているんだよ。
もう、訳が分からなかった。
ぎゅっと目を瞑って、胎児のように身体を丸めていると、誰かが僕を揺さぶった。
ブランケットを捲り上げられ、光が網膜を刺激して眩しい。目を眇めて見上げると、黒髪の男性が立っている。
「アサヒ、起きろ」
おとうさんだ。おとうさんがいる。何か言わなくては、何か――
「お……と……」
「ん?」
「――――とっトイレぇっっ!!」
僕の悲痛な叫びに、父は慌てて僕を抱きかかえ、枕側にある扉を開けた。
探し回らなくても、トイレはこんな所にあったのだ。どうやら、この部屋にはユニットバスが付いていて、ホテルのシングルルームのような造りになっていたのだった。
数時間ぶりに用を足して、トイレから出る。漏らさなかったことと、父への話題を提供してくれたことを、自分の膀胱に感謝した。
「ちゃんと手を洗ったか?」
「うん。ねえ、なにもってるの?」
「お前が着てきた服だ。今着ている服は、着て帰っても良いと言ってもらったが――」
「きがえてく」
下着まで全て着替え終わると、先程まで着ていた服を畳んでベッドの上に置いた。
「もう日も暮れるし、土産でも買いに行くか」
「……うん」
今はもう、海に行きたいとは思わなかった。
屋敷内を歩いても、あんなに人が沢山いたというのに、誰にも会わないでいる。
外に出ると、この一週間で見慣れたレンタカーが停まっていた。父は僕の前を真っ直ぐに歩き、運転席に乗り込んだ。
僕は車に乗る前に、今一度じっくりと屋敷を眺めた。傾いた日に照らされ、白い館が赤く輝いていた。
その後、父は何も言わなかったし、僕も何も訊かなかった。
あの女性は誰なのか。父とはどういう関係なのか。どうして彼女は僕の名前を知っていたのか。迂闊に探れば、何かが変わってしまうような気がした。
いや、そんなことは本当はどうでも良かった。
僕が本当に訊きたかったのは、おとうさんはずっと僕のおとうさんでいてくれるかどうかだった。
その幼くも切実な問いは、空気を震わせることはなく、小さな胸の奥に重く沈殿していく。僕は、南国の気だるい夕日に照らされる父の横顔を、得体の知れぬ人間のように恐々と眺めていた。
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