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※アスカガ・オリキャラ視点・戦後IF
『サマータイム』
05.
知らない国で、父と逸れてしまった。
現状が重く僕の肩に圧し掛かってきて、不安が胸でぐるぐると渦巻いている。次第に視界が滲んできたが、早く父と合流しなくてはと、僕は小さな身体で歩み出した。
僕は、まず最も目に付くところ、つまり待ち合わせに使われるような場所に出ようと思った。前にデパートで逸れてしまった時、ビルの中心にある噴水の傍にいたら、父が捜しに来てくれたからだ。
僕の知る限り、この博物館で最も目立つ場所は、正面玄関だ。人文史系のスペースと自然史系スペースの繋ぎ目でもあるそこへ、僕は向かうことにした。
しかし、順路に従って進んでいくと、全く知らない出口に出てしまった。
「あれ? ……どうしよう?」
心臓がどくどくと鳴り響く。
この時、僕は知らなかったのだが、ここは人文史系スペース専用の出入り口で、正面玄関に出るには地下のギャラリーを通る必要があったのだ。
誰か大人に声を掛けようか。そうやって迷っているうちに、壁伝いに歩けていけば、やがて目的地に着くのではないかと思い至る。
僕はとにかく歩き出した。
しかし、またしても僕はミスを犯した。この時僕が歩いていった方角は北だった。正面玄関は南。つまり、全く逆の方角に歩いていったのだ。
確かに、いずれは正面玄関に辿り着くだろうが、巨大な博物館の周囲を四分の三以上歩かなくてはならないのだから、時間が掛かり過ぎる。ましてや幼い僕にとっては、途方もない距離だった。
この時、方角に気を付けていたら――。いや、例え気を付けていたとしても、北欧のスカンジナビアと、赤道に近い南半球のオーブとでは、太陽の動きすら違う。僕のちっぽけな身体に詰め込まれた常識など、全く通用しない国なのだ。結局、迷っていたかもしれない。
とにもかくにも、この時の僕は、間違った方向に進んでいった。
折りしも、時刻は午後二時過ぎ、一日で最も暑くなる時間帯だった。僕は太陽に焼かれながら、必死に足を進めていた。
汗が目の中に入った。痛くて涙が出た。
本当にこれで目的の場所に辿り着くのだろうか。不安は僕の足を鈍らせ、後ろを振り返らせる。
――僕は、永遠に帰る場所を失うのではないか。
――もう二度と、父には会えないのではないか。
大袈裟でも何でもなく、そういう予感が僕の内にはあった。僕は、大人に保護してもらわなければ生きていけない、無力な子供だったのだ。
そんな暗い気持ちに押し潰されそうになっていた時のことだった。
それは不思議な抑揚で発音された。敢えて言うなら、父が僕の名を呼ぶ時の発音に似ていたが、どこか少し違っていた。
「アサヒ?」
顔を上げると、ベージュのパンツスーツを着た女性が、びっくりした表情で立っていた。その人の第一印象を一言でいうなら『金色』。彼女は豪奢な金髪をしており、瞳まで金色だったのだ。
知らない人だと思い、視線を逸らす。だが、彼女はまたしても僕の名を呼んだ。
「やっぱり、お前アサヒじゃないか」
子音をはっきりと発音されると、全く違う人の名前のようだったが、やはりそれは僕の名前だった。
「あ、あの……?」
困惑する僕をよそに、彼女は太陽を背にして、僕の前まで近付いてきた。僕の身体が彼女の影に覆われる。逆光で顔が暗くなると、彼女の瞳は琥珀色、ちょうど昨夜父が飲んでいたウイスキーの色に見えた。
彼女は膝立ちになって、ポケットからハンカチを取り出すと、僕の顔の汗を拭いた。ハンカチからは、石鹸のような良い匂いがした。僕が嫌がり顔を背けると、彼女は痛そうな顔をして、ハンカチを握りしめた。
「お父さんはどうした?」
女性の言に違和感を感じる。こういう時は、「お父さんやお母さんは何処にいるの?」と聞かれるのが普通だ。父親の存在だけを訊ねられることは、あまりない。
黙りこくる僕に、女性は焦れたようだった。
「……まあ、良い。ここは暑いから、私と一緒においで。私の家で、冷たいジュースでも飲もう」
彼女の言葉には、知り合いに対するような気安さがあった。それが妙に癇に障る。
確かに、喉はカラカラだった。しかし、いくら僕が子供だからといって、そんな餌に釣られて、知らない人にホイホイと付いていくわけがないのだ。
「……しらないひとについていっちゃだめだって、おとうさんがいってました……」
「知らない人なんかじゃないぞ。お前の名前も知っていただろ? ついでに言うと、お前のお父さんの名前も知っている」
彼女が父の名を出したので、余計に困惑してしまう。奇妙すぎるのだ。どうして見ず知らずの外国人が、僕達父子の名前を知っているのか。もしかして、僕達を付け狙っていたのだろうか。
僕は頑なに、差し出された手を拒んだ。そんな僕の態度に、女性は小さく溜息を吐いた。
「――悪いが、この子を車に乗せてくれ」
この人は、僕を無理矢理連れて行こうというのか。だが、僕が子供とはいえ、相手は華奢な女性だ。滅茶苦茶に暴れてやれば、なんとかなるのではないかと思った。
すると、女性の後ろから、ぬっと大きな人影が現れた。そのあまりの大きさに、呆然とする。彼の二の腕は丸太のように太く、手の平は西瓜を片手で潰せそうな程に大きく肉厚だ。僕の小さな頭など、簡単にねじ切られてしまいそうに思えた。
よくよく見ると、女性の後ろには、何人かの屈強な男が付き従っていた。彼は、その中でも一際大きくて強そうだった。
木を荒々しく削りだしたように無骨な顔立ちをしていて、眼光が凄まじく鋭い。浅黒い肌色が、彼の強面をより強調している。
逆らってはいけない。僕は直感的にそう悟った。
「よろしいので? 父親が心配するでしょう」
「うん。こんな暑い所に一人で置いておくのも、心配だからな。ちゃんと行き違いにならないよう、手配するよ」
「かしこまりました」
大男は、危なげなく僕を抱きあげ、職員用の駐車場へと歩き出した。
駐車場にも屈強な男達が何人かいて、僕達の姿を見ると恭しくドアを開けてくれる。僕は、さっと目を走らせ、車の外観とナンバーを記憶した。車は、誰もが知っているような、黒い高級車だった。
そんな高級車に、こんな丁寧に扱われたことはないというぐらい、殊更丁寧に乗せられてしまった。命の危機に晒されているのだから、じっと神経を張り詰めていなくてはならないのだが、中のシートがふかふか過ぎて、別の意味で神経をすり減らしてしまう。
男達が囲んでいる車の中でしばし時を過ごしていると、さっきの女性が乗り込んできた。
女性が乗り込むと、車は緩やかに発進した。
父のいる博物館から遠ざかっていくのを、僕は何もせず、ただ黙って見ているしかなかった。
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