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※アスカガ・オリキャラ視点・戦後IF
『サマータイム』
02.
何度見ても、オーブの海は素晴らしい。
エメラルドグリーンの水が、途中で青く変じている。緑色の部分が、ソーダゼリーのようで、おいしそうだ。
その透き通った水に、足を浸してみれば、意外に冷たい。だが、じりじりと焼け付くような陽の下では、その冷たさも気持ちが良かった。
僕は、普段海を見る機会がないため、海を見ると興奮してしまうのだが、南国の海は、身体の内側からさらに大きな感動を引き出してくれる。
つまるところ、遊びたいという衝動を押さえることができない。
しかし、僕は殆ど泳げなかった。一応、水に浮かぶことだけは出来るので、じたばたと手脚を動かし、なんとなく水中を移動する。それが、幼い僕の泳ぎ方だった。
そこで、僕はオーブに来てから、父に正しい泳ぎ方を教わることにしていた。
三回目のレッスンで、父に手を引いて貰わなくても、バタ足ができるようになったので、四回目の今日は、クロールを教えて貰うことになった。
ところが、これがなかなか難しい。
腕の動かし方を意識していると、バタ足がおろそかになってしまう。脚を意識すると、今度は腕が駄目。仕舞いには、上手く出来ないせいで苛々してしまい、腕に力が入りすぎて、ゴーグルの中に海水が入ってしまった。
そんな僕を、父が苦笑しながら見ている。
「目が痛いか?」
目を擦りながら、頷いた。
「少し休憩しよう。目も洗わないとな」
顔を洗い終わると、シートに腰を下ろして、父が買ってくれたグアバジュースを飲む。時折、髪についた雫が日光に暖められて、汗のような暖かさで首筋を流れていく。水滴は拭わなくても、パイル地のパーカーが勝手に吸い取ってくれた。
暫くすると、父がどこからか、バケツを見つけてきて、お城を作り出した。
勿論、僕も手伝った。サンドガラスを嵌め込んで、窓に見立てただけだったが……。
最後に、城の周りに張り巡らせた堀に、水を流す。共同作業の締めくくりに、僕達父子は、ハイタッチを交わした。
砂浜のあちこちで、砂遊びの痕跡が残っていたが、大抵はトンネルのある砂山で、こんな立派な砂のお城は無かった。これは、僕の父にしか作れない、世界でたった一つのものだ。
父は、とても手先が器用で、僕のおもちゃも手作りのものが多い。ただの砂を、絵本から抜け出したように精巧なお城に仕立て上げるなんて、父の手は、魔法の手なのではないだろうか。
僕はとても満ち足りた気分で、サンドガラスが陽の光でキラキラと煌くのを眺めていた。
しかし、
「すみません。それ、うちのなんですけど」
尖った声に振り向くと、三十代ぐらいの女性と、僕と同じ年ぐらいの男の子が立っていた。
こんなに天気が良くて、海が綺麗なのに、この母子は無粋なまでに、不快感を露わにしている。
「あ……、すみません。落ちていたので、勝手に使ってしまいました」
父は、申し訳なさそうに眉尻を下げて、女性に謝った。
すると、あんなに刺々しかった女性が、態度を柔らげ始めた。
「あ、いえ。元はといえば、うちの子が……」
心なしか、頬を赤く染めているように見える。
父の瞳がそうさせるのだ。濃い眉の下にある緑の瞳。あのエメラルドのように澄んだ輝きに見つめられると、大抵の女性は、何かを期待するような視線を返してくる。
僕は、こっそりと溜息を吐いた。
身内である僕が言うのも何だが、父は、大変な美男子であった。
滑らかで、雀斑が一つもない白皙の肌。目も、鼻も、口も、全ての形が洗練されていて、完璧な位置に納まっている。光が当たると青味を帯びる黒髪は、毛先に少しウェーヴが掛かっていて、触れなくても濡れたような質感が分かるほど艶を帯びてる。均整の取れた体型は、まるで動くギリシア彫刻のようなのだ。
男やもめであることも手伝って、父に秋波を送る女性は多かった。
しかし、父は見向きもしなかった。否、気付いてさえいなかった。
この時も、全く気が付いていなかった父は、海水でバケツに付いた砂を綺麗に落とすと、男の子に手渡そうとしゃがんだ。
「勝手に使って、ごめんね」
だが、男の子は人見知りが激しいようで、母親のワンピースの裾を握りしめ、一向に受け取ろうとしない。
「ほら、早くもらって」
母親に促されても、恥ずかしそうに彼女の影に隠れるばかりだ。仕方なく、母親の方が「すみません」と言いながら、バケツを受け取った。
そうして、男の子は、母親のワンピースを掴みながら、歩きづらそうに帰っていったが、不意に後ろを振り返った。
目が合ったので手を振ってみると、ぷいと無視をして、「ママだっこ」と腕を伸ばしている。母親は、面倒くさそうにしながらも、結局は小さな身体をバケツごと抱きかかえて歩いて行った。
僕や父とは喋らなくて、ママとは喋るのか。もう自分のことぐらい自分で出来る年頃なのに、いつまでも母親に甘ったれている男の子に、腹が立った。せっかく楽しかった気分が、台無しだ。
でも、良いのだ。
僕には、この立派な砂のお城があったし、こんな凄いものを作れるお父さんがいるのだから。
気分を換えたくて、もう一度、泳ぎを教えてもらおうと、父の手を引っ張った。
だが、父は動こうとしなかった。僕は不思議に思って父の顔を見上げた。
「……不味いな。もう、ホテルに帰ろう」
「え? もう?」
陽は、未だ沈んでおらず、燦燦と光を降り注いでいる。
「うん。雨が来る」
父が見つめている方角を見ると、確かに黒い雨雲が見える。
「でも、まだ、だいぶとおいみたいだよ」
他の人間は、ゆったりと海水浴を楽しんでいたから、僕だけが帰らなくてはいけないのが悔しかった。
「いや、ああいう雲は流れが速いんだ。突然降ってくるから、油断していると濡れてしまう」
父はきっぱりとした口調で、身体に付いた砂を、海水で洗い流すように指示した。
二人で海水に浸かると、荷物をすぐにまとめ、海水浴場に備え付けてあるシャワーを浴びに行く。
ホテルに辿り付いた時、ざあっという大きな音が後ろから追いかけてきた。
「間一髪だったな」
僕は、父の言に頷きながら、砂浜に残してきたお城のことが気にかかっていた。
仕方が無いことだとは分かっていたが、立派な砂のお城が、この驟雨で崩れてしまうのが辛かった。
今はもう、大人になったせいか、ある程度の耐性もついたのだが、子供の頃は、一度手にしたものを手放すのがとても悲しくて、こういう胸の切ない痛みを、いつまでも大事に抱えていた気がする。
しかし、そんなセンチメンタルな気分も、眠気には敵わなかった。
服に着替えるためだけに、慌ててシャワーを浴びたものだから、まだ髪には砂が残っていた。部屋の内風呂でシャワーを浴びて、髪を乾かすと、遊びつかれた僕は、すぐに寝入ってしまった。
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