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※アスカガ人間×悪魔パロ
『グレープフルーツ』
13.
外はもうすっかり冬だった。
葉を落として寒々しくなった街路樹には、昼間からイルミネーションが点されている。いつもより人が多い商店街を見て、ああ、もうすぐクリスマスなんだな、と季節の移ろいをアスランに実感させた。
昨夜、家に閉じこもっているアスランに、「半月ほど顔を見ていないが大丈夫か?」と大学の友人から電話がかかってきた。さして親しいわけではないが、それでもそう言われると、顔を見せに行かなければならない気がする。
今のアスランの頭の中からは、大学のことなど消え失せていた。だが、以前はそういう生活を送っていたはずだ。大学、バイト、余暇は図書館で調べものをするか、趣味に没頭する。以前できていたことなのだから、元に戻すことは不可能ではあるまい。
何日も風呂に入っていないから、シャワーを浴び、清潔な服に着替える。生やしたままの髭も剃った。元は髭が薄く、似合わない顔立ちであったが、まともなものを食べず憔悴した顔には、不精髭は誂えたようであった。垢を落としてこざっぱりとしたはずだが、鏡で見た自分の姿を、どこか貧相な男だと他人事のように思った。
何もかもが、現実味がない。
だが、アスランがそうして蹲っている間に、外では、確実に時間は動いている。目に映る景色が、肌で感じる空気が、それを教えてくれた。
アスランは、首元をすうすうと吹き抜ける風を少しでも塞ごうと、薄い上着の前を掻き合わせ、駅に向かって歩き出した。
砂のように指の間からこぼれていく時間。明けて欲しい夜でも、明けないで欲しい夜でも、必ず朝は来る。カガリがいなくなっても、そこに大した意味はないのだ。
何も、特別なことなんてないということが、アスランの心を平静にさせた。
目の前を歩く大量の人々が、黒い塊に見えた。彼らは、蟻の大群のようだった。
アスランは、幼い頃に図鑑で調べた、蟻の生態を思い出した。
餌を見つけた蟻が、巣に戻る時に付けた臭いを辿りながら、仲間の蟻が続いていく。彼らは、自らがどんな餌に向かっているのかを知っているのだろうか。きっと知らない。餌の方向だけを教えられて、ただそういう生態を持っているから、彼らは行軍する。
その中に混じって歩く自分も、きっと蟻になれるはずだ。そう思って、流れに合わせて懸命に足を動かした。
ずっと見ていると、蠢く黒い塊の輪郭がぼやけ始める。塊がぐにゃりと溶け出して、アスランに纏わりつこうとしていた時だった。
ぼんやりと映る黒い塊の中に、突如、懐かしい金色が過った。それは、黒い塊の中で一際輝いて見えた。
はじかれたようにアスランの身体が動く。
アスランは、視界の端に映った金色を、無我夢中で追いかけた。人ごみのせいで、金色との距離は、縮まったり、広がったりを繰り返すばかりで、なかなか追いつくことが出来なかった。それでも、アスランは、人ごみを掻き分け、必死で追いかけた。
そうして、やっと、彼女に追いつき、その肩に手を掛けて呼びかけた。
「カガリ!!!」
振り向いた少女は、まったくの別の人だった。
アスランは、行き場の失った右手を下ろした。
あるわけがない何かを期待している自分に心底嫌気が差した。
気分が落ちたことで、疲れがどっとアスランの肩に押し寄せた。無理もない。こんなに走ったのは久しぶりなのだ。
疲れはアスランを無気力にさせる。これから電車に乗って、大学に行くだけの気力も残っていなかった。彼にできたのは、家に戻ることだけであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
家に帰ったアスランは、這這の体で、リビングに辿り着いた。
ごろんと、床に横になる。
疲れた身体は、睡眠を要求していたが、床の冷たさと固さが不快で、ソファに寄り掛かった。その時、カサと乾いた音がして、紙袋からグレープフルーツと、包装された箱が転がり落ちた。
それを見た瞬間、胃の底から熱が湧き上がり、こめかみの辺りが滾るように熱くなった。
箱を壁に向かって投げた。ちょうど箱の角が壁にあたり、壁紙が凹んだ。箱は床に落ちると、ガシャンとガラスの割れる音がした。
それから、グレープフルーツを投げた。ソフトボールより少し大きい球体は、スピードに乗って壁にぶつかるとぐしゃりとつぶれ、汁と果肉が壁と床とを汚した。
この突発的な衝動は、ますます加速し、とにかく破壊してやらねば気が済まなくなった。そうだ。なにもかも、壊れれば良いのだと思った。
一つ目よりも二つ目のグレープフルーツが、より酷く潰れると、三つ目をさらに力を込めて投げた。四つ目、五つ目と投げた。
グレープフルーツの入った袋が空になり、投げるものがなくなると、テーブルの上にあったボディバターを投げた。壁に当たるとプラスチックの蓋が弾けとび、中身が零れた。
カガリが幸福の香りだと言った、グレープフルーツの香りが、部屋に広がった。
何だかもう堪らなくなってしまって、アスランは咽び泣いた。
自分の手が、もう二度とこの香りに包まれることはないのだと思うと、あの白く華奢な手が、慕わしかった。
こんなことで、傷つかないようになりたかった。
いつだって、期待と現実の間には落差があった。その落差は自分で生み出したものである以上、自分で引き受けなければならないものであった。けれども、それを目の当たりにしても、傷つかないわけではないのだ。
彼の心は、傷がつけば、肌をナイフで裂いたように赤い血を流したし、傷は塞がってもふとした拍子に疼き出した。
時は無作為に流れ、奇跡なんて起こらないと思わなくては生きていけなかった。期待をしなければ、痛みを感じずにすんだのだ。
彼は、ずっと分かりたくないと思っていた。
しかし、カガリと出会ってからのアスランは、自分に課した禁を破った。
誰かに心を預ければ、その分空いた隙間を埋めて欲しいと思ってしまう。彼女は、誂えたように彼の隙間を埋める存在であった。
己の幸せが何なのか、自覚している人間は少ない。そんなことを考えていては、この無邪気に流れる時間の中を生きてはいけないから。それらしきものがあるということだけを知って、人生という自分に与えられた時間の枠を消費し、死に向かって歩いているだけだから。
結局、人は皆、無為に過ぎ行く時間の中で、何か特別なものを得られるのではないかと薄っすらと期待しながらも、何を期待しているのかなんて、まるで理解していないのだ。
無為に流れていく時間。特別なことなんて滅多に起こらない。起こったとしても、それも時の流れに押し流されていく。
けれども、色あせない時間。忘れたくない思い出がある。彼にとっての『なにか』は、確かにそこにあったのだ。
せっかく手に入れた特別なものを手放すことに、アスランの精神は耐えられなかった。
「アイツ……本当に悪魔だ」
――なあ、アスラン。お前は、今、幸せか?
愛しい彼の悪魔が、記憶の中で呼びかける。
――いいや。カガリ。俺は、不幸になってしまったよ。
涙が、頬を止めどなく伝うのが分かったが、それを拭うことすら、どうでも良かった。
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